思わず反応し、録画したのが…
沢木耕太郎 推理ドキュメント
運命の一枚
~"戦場"写真 最大の謎に挑む~ → NHKスペシャル
「ロバート・キャパ 魂の記録」(原田諒・作)を見逃したし
どんなもんだか、観てみました。
私がよく拝見するブログ「陽だまり」のコスモスさんも
ロバート・キャパの記事をUPされていて
なんか、最近世間がロバート・キャパ、キャパ言ってない?
ってwikipedia見たら、今年生誕100年らしいです[emoji:e-77]
それで、横浜美術館で写真展か~[emoji:e-77]
私は宝塚・宙組で上演されなかったら キャパの名前も知らなかったと思います。
宝塚では、キャパはヒーローで当然美談に仕上げてあるわけですが
Nスペを観る限り、ヒーローというより、
「一枚の写真に運命を狂わされた」
ちょっと可哀想な男でありました。
キャパの名前を一躍有名にした 1枚の写真があった。
キャプションは「崩れ落ちる兵士」
この写真は、兵士が撃たれる瞬間を捉えた写真として、有名になるのだけれど
いつどこで撮られたかは定かではなかった。
60年間謎とされてきたこの写真に、
作家の沢木耕太郎氏が真っ向から謎解きに挑む
この番組、面白かったです!(2013年2月3日放送済)
フリードマン エンドレ エルネー
ドイツの通信社で暗室係をしていたけれど
ユダヤ人排斥が強まり、フランスへ逃れた。
キャパは、5つの戦争に従軍し、多くの傑作を残し
今なお戦場カメラマンとして伝説的な存在であり続けていると言う。
そのキャパの伝説に踏み入ろうとすると、その前に立ちふさがるのが
「崩れ落ちる兵士」の写真
撃たれた瞬間を完璧に捉えたとされている。
え~? でも、血、吹き出してないんですけどっ?
キャパは、有名になるために写真をでっちあげた!
ネガが存在しない限り 真相は闇の中だ!
いろんな意見がある中、、
最新技術により検証していく過程が興味深いです。
山の稜線から、撮影角度を割り出してみると
撮影現場には、もう一人のカメラマンがいた事が判明した。
それが 彼の恋人で女性初の戦場カメラマン・ゲルダ タロー
ナチスから逃れたフランスで知り合った、女性初の戦場カメラマン。
結論は、写真は、ゲルダ タローが撮影したもので
撮影された場所で、戦闘は行われておらず、訓練であった、と判明。
訓練だから、銃撃されるわけもなく…
崩れ落ちる兵士は、斜面で足を滑らせ体勢を崩しただけで
死んでもいなかった、ということが分かった。
当時、売り出し中の戦場カメラマンの二人は
アメリカへ売り込む時に、呼びやすい名前
「ロバート・キャパ」という架空の名前で写真を発表していた。
フリードマンもゲルダ タローもロバート・キャパを名乗っていた。
スペイン内戦に残ったゲルダは戦死するが その直後
アメリカのライフ誌に取り上げられた「崩れ落ちる兵士」の写真によって
無名のキャパは一躍有名に。
22歳の青年が、戦場写真家として名声を手に入れた。
撮影したのは自分ではなく、戦死した年上の恋人。
戦場で死の瞬間を完璧に捉えた写真だと世界中から称賛されるが
実際は、戦場での写真ではなかった。
彼女が受けるはずの名声を自分が独り占めにする居心地の悪さ。
戦場写真ではないのに、戦場写真として一人歩きを始めた
「崩れ落ちる兵士」。
その写真は、やがて「反ファシズムの象徴」として
あの、パブロ・ピカソの「ゲルニカ」と並び称される程になった。
もう、真実を語ることは許されない!!
31歳の時ノルマンディー上陸作戦に参加したキャパ。
崩れ落ちる兵士が有名になり過ぎたが為に
あの作品を超える傑作を生み出さねばならない、という
逼迫した思いに駆られたのか?
そしてまた、ゲルダの死を乗り越えるために、
自らもノルマンディーに向かったのか?
一人で抱えるには大きすぎる秘密を抱えて生きていく辛さ。
1936年、あの写真が世にでてからというもの、
1954年にベトナムで亡くなるまでの後半生、
世間を欺いている自分と、写真に隠された真実を持て余しながら
生きていたのではないかと察します。
そして 戦場で散った恋人に対する複雑な思いもあったのでは?と
私は思っています。
自分より勇敢に、若くして逝ってしまい、取り残された感。
世間で称賛を浴びている写真を撮ったのは自分ではなく恋人タロー。
その2つの思いを乗り越えるために、キャパは敢えて危険な最前線へ赴き、
あの一枚を超える写真を撮ろうとしたように私には思えます。
孤独だっただろうなロバート・キャパ
いろんな思いがよぎった 50分でした。
◆外部リンク
☆おまけ☆
ロバート・キャパは「ちょっとピンぼけ」という写真集を出していますが…
宙組のタイトル
「ボクはピンボケ、君は大ボケ」は、この写真集のパロディなんですね?
こんなところでつながっているとは!