本日、ご遺族側の川人弁護士の会見がありました。
11月24日に宝塚歌劇団と面談した内容の報告があり、今後も宝塚歌劇団と協議していくとの事です。
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11月14日の最悪会見から何も変わっていない
劇団員を調査する弁護士は、阪急と関係のない弁護士事務所に頼んだと言っていた劇団。
報告書の内容は、宝塚歌劇団に寄り添うような内容に思えました。
調査チームの作った報告書に則って開いた会見で、長時間労働に付いては謝罪もしたし、処分も決まった、改善策も出した、で理事長は、ホッとした風で柔和な…笑顔すら漏れかねない表情を浮かべておられました。
自身の辞任も決まり、やれやれ、と肩の荷が下りたのでしょうか。
がっ! 結局、調査に当たった大江橋法律事務所は、阪急阪神HDと繋がっていたことが判明。
本気で調査をするつもりなら、もっと独立性の高い第三者委員会を設置すればいい、と誰もが思ったはずです。
それなのに、未だに…
一方、歌劇団と阪急側は「現時点で特定のパワハラの存在を認めてはいないが、調査報告書に拘泥することなく、引き続き協議したい」などと応じた。調査チームについては「第三者委員会ではないが、劇団との関係で独立性がある」とした上で、歌劇団の問題点の検証や風土改革については「第三者委員会を設置する予定はないが、外部有識者の意見も聞きながら劇団の責任で進めていく」との考えを示したという。
引用元:毎日新聞
第三者委員会を設置することを頑なに拒んでいます。
劇団の都合の悪いことまで露見するからでは?と思われてもしょうがないです。
この調子だと、何も変わらない。
何度も中途半端な調査をするのではなく、きっちり「独立性の高い」「中立な立場の」第三者委員会に調査してもらって早いとこかたをつけて欲しいです。
時間がもったいない。
相変わらずののらりくらりで、相手が根負けするのを目論んでいるのかと深読みしたくなるほどに…。
世間の常識とのズレに気づいていないのでしょうか
調査報告でも、4名の生徒さんがヒアリングを拒否しましたが、理由を問われると
「ご容赦ください」…って、そんな逃げが通用するの?と驚きました。
ヒアリング拒否の理由を言わないから、これまた、都合が悪い事を隠したいわけですね、と却って心証が悪い。
「そんな理論、通用するの?」と思うことをしゃーしゃーとやってのけるのが宝塚歌劇団。
常に悪手を取る、と傍目に思うのも、劇団が世間の常識と完全にズレているからなのでしょう。
次期理事長の「証拠を見せろ発言」も御本人(阪急)的には、高圧的に出て先手必勝!で快哉を叫んでも、世間は許してはくれません。
翌朝のヤフコメ大炎上でしたものね。
村上次期理事長は、音楽学校の校長も兼任されますが、まだ着任もされてないのに不安いっぱい。
みんなが幸せな方向へ導いてくださるのでしょうか。
2年前に西宮労働基準監督署から「改善勧告」を受けていた
…ということが先週、新たに判明しました。
お上から、改善勧告を受けてもなお、スルー。
13年前の宝塚音楽学校いじめ裁判の際も、裁判所の司法命令をスルー。
宝塚歌劇団、どれだけ力を持っているのか。
阪急電鉄の一部門という強み、阪神阪急HDが守ってくれるというおごり。
あの96期裁判では、絶対に自分たちは悪くない、監督責任を棚にあげ、いじめをしたのは生徒が勝手にやったこと、と責任逃れに終始していました。
それは、阪急から来たお偉いさんが保身に走ったからに他ならないと思っています。
隠蔽体質と絶対の上下関係が生徒さんを苦しめている
今、「外部漏らし」も問題視されています。
同期や家族、兄弟にも相談できないとなると一人で悩みや苦しみを抱えざるをえません。
これもまた、劇団の隠蔽体質そのものですね。
人に話すことで、すごく楽になる、ということは誰しも経験している事です。
外部漏らしが徹底的に犯人を探し出し、吊るし上げられる、
そしてそれはOGになってからも仲間はずれにされるのだそうです。
今日、NHKニュースで亡くなった生徒さんを知る元劇団員、としてお気持ちを表明していたOGさんがいらっしゃいました。
よく取材を受けられたな、と思うと同時に、これは誰なのか?と「外部漏らし」捜査班に見つかってないことを祈ります。
反省せず、隠蔽体質、もう改善する気も、ご遺族に歩み寄る気持ちもないのでは?と暗澹たる気持ちにさせられました。
「劇団の責任で進めていく」それが問題
問題点の検証も風土改革も、劇団の責任で進めていく、とのこと、それ、一番進まないやり方。
責任逃ればかりの団体に任せられないわ。
だから世間は「第三者委員会で」とあれほど言ってるのに。
隠すのは、やましいことがあるからでは?と痛くもない腹を探られるのが嫌なら、最初からきちんと対応すればいいのに…
大揺れに揺れている宝塚歌劇団、今まさに変われるチャンスです。
都合の悪いことは隠蔽して切り抜ける手法はもうコンプライアンスに抵触してる気がします。
小林一三翁が目指した「清く、正しく、美しく」の生き方は生徒さんだけじゃなく、自らにも課して欲しいわ。