暑中お見舞申し上げます!
暑すぎて溶けてしまいそうです。
コロナ、熱中症に気をつけて過ごしましょうね。
さて…今日の話題は全然おもしろくないと思うので読み飛ばして頂いて結構です。
今日は、ヅカ仲間3人でランチ&お茶しながら、各組の今後や、生徒さんの魅力など、忌憚なく語り合って、スッキリ~♪
3人共、「好きなジェンヌさん」の方向性が同じなので、忖度したり、探りを入れたりしなくてもOK、言いたい放題いって、そうそう!!と共感しあえるのが気持ちいい!!
そんな中で話題になった「グレート・ギャツビー」のあの場面…
⚠ネタバレありますのでご注意ください
なぜ、デイジーはギャツビーのお墓にバラを一輪、投げ捨てるのか?
2008年の日生劇場版(瀬奈じゅん主演)の映像を観た時から、このシーン、気分が悪かった、と友人。
そうそう、今回も投げ捨ててました。
花を手向ける、というような丁寧な、扱いではなく、お墓に花を放り投げてました。
バラ一本だけ。
マートルを轢き殺したのはデイジーで、罪を償うのはデイジーであるべきところを、ギャツビーが、彼女の罪を引き受けてくれました。
デイジーは轢き逃げ犯になることなく、今まで通りの暮らしを続けることができたのも、ギャツビーのお陰だと言うのになぜこの態度?
ワタクシ&ヅカ友さんの思考回路だと理解できないのです…
ギャツビーがパーティを開いていたときには、群がってやってきた人たちも、誰一人本当の友人ではなかったんですね…愛し合ったと思っていた人ですら。
訃報を聞いても、みんな水臭い。
隣人のニックだけがギャツビーを手厚く葬ってあげました。
ギャツビーへの愛も、彼への恩もなかったことになっているデイジーの冷たい表情と態度。
デイジーは、ただ美味しいとこ取りの、「ずるい女」だった…と分かったのは、ギャツビーが亡くなってから。
そんなことも知らず死んでいったギャツビーは、ある意味幸せだったのかも知れません。
でも、私達観客は観てしまいました、デイジーの本性を。
男の心を弄んで、後は知らんぷりできる女性。
「WEST SIDE STORY」でもラストでヒロインが撃たれて亡くなります。
衝撃的すぎて、初めて観た時(劇団四季版)、帰り道に鉛玉を飲み込んだような気分になりました。
観客は主人公に感情移入して観ますから、悲劇として最高の終わり方かなと思います。
もし、ギャツビーが、マートルのご主人に撃たれて終わりだったら?
亡くなってから、みんながギャツビーとの過去の関わりを否定して終わりだったら?
ギャツビー、気の毒…なんて人生なの?
ずっとずっと思い焦がれてきたデイジーを心の支えにして生きてきたのに、身代わりになったばかりに殺されるなんて…と同情できたのに。
そこへデイジー登場で、は?
このバラを放り投げるシーンを入れる必要はあったのでしょうか?
こんな素気ない態度を取るぐらいなら来なくていいのにね、と今日、3人で語り合いました。
数年後に、あなたのおかげで私は幸せに暮らしています、ありがとう、と花を手向けに来るようなラストだったら報われたのに…
このデイジーの墓参場面が大好きな方がいらっしゃったらごめんなさい。
観客の数だけ感想があるということで、ご理解よろしくです♪